金曜日, 3月 29, 2013

我友、ヨーナスへ #BästaBeatrice



1992年ボスニアからスウェーデンへ難民としてやって来た Jasenko は、自身の体験を振り返りつつ、スウェーデンがいかに暖かく自分を受け入れてくれたかを語りかけている。

「私が小さい時、当時のサラエボはまだ世界4大宗教が比較的うまく共存していた多文化な街でした。・・・ バルコニーから私は人々がお互いに手を差し伸べ合っているのを見ることができました。その後、ミロセビックや民族主義者達がやって来ました。誰が一番虐げられているか、集団的権利を主張して争いました。多文化な国が分裂されることだけが求められました。」

「君はこの国が密かな人種差別主義者で溢れていると解釈しました。私は、もっと親切で暖かい国だと見ています。私や私の国の人々に、新しいチャンスを与え、生き延びさせてくれました。お陰で少し余分な人生を送ることができました。これ以上何を望むことがあるでしょうか? ・・・ 君は常に差別に晒されていると言いますが、それはこの国のすべてを物語ることではありません。それが唯一のことでもありません。・・・ 他国が拒否した時でも、この国は私や我々たくさんの人々を受け入れてくれました。私や友人たちは、ただただ感謝するのみです。ヨーナス、ありがとう。」

「これ以上移民のための場所はないと君は言う。その通りです。それでもこの国は最もオープンな西側諸国の一つであり、移民を積極的に受け入れている国であることを否定することはできません。・・・ この国が尊厳とは何かを我々に教えてくれたことに感謝します。我々はそれを忘れることはないでしょう。」

読みながらこみあげてくるものがあった。同時に今世界が注目している北朝鮮の人々のことを思った。日本から拉致されていった同胞のみならず、自由で民主的な社会を経験したことがない彼の国の人々を、尊厳を持って暖かく迎え入れる用意が日本人にあるだろうかと。

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